石破茂・自民党新総裁の誕生に対して、高市早苗を支持していた人たちからかなり強い反発が出ているようだ。だが、その反発、あまりに事実とちがっていたり、誹謗中傷ではないかと思われるものが多い。作家と言われる人や大手出版社の週刊誌からも同じような類のものが出ている。
まず、作家で政治団体「日本保守党」の代表でもある百田尚樹氏。自身のYouTube番組で発した発言だ。中日スポーツから引用すると――
「(百田氏の)動画では、石破茂元幹事長が新総裁に選ばれたことで「自民党終了」と断じた上で、石破氏への非難を展開。その中で、百田氏は「もともと、鳥取県かなんかでしょ。鳥取県なんか人口、何人おんねんっちゅう話でしょ? ものすごい少ないですよ、鳥取県の人口なんか。何人おるのか…数十万人ぐらいでしょ。そっから選ばれとるヤツが日本の総理大臣になんねん。もういいかげんにせえよ」と発言した。」
百田氏は自称保守主義者ではないのか。少なくとも「日本保守党」という名称を持つ政治団体の代表である。そういう人間が、日本の一地方、一自治体に対して、人口の少なさゆえにその政治民度を貶めるような発言をしていいのだろうか。日本の隅々に息づいている文化、伝統を守る人々、その思い、その生涯を守り抜いていこうとするのが「保守主義者」なのではないか。
しかも百田氏の妄言は誤った事実認識の上に立っている。百田氏は故安倍晋三氏と親しかったが、安倍氏の選出小選挙区である山口4区(現在は山口3区の一部)より石破氏の鳥取1区の方が有権者数は多いし、存命中の安倍氏の得票数より石破氏の方が多かった。百田氏は安倍氏に対しても同じ趣旨の妄言を吐けるのか。
百田氏はその著書『日本国紀』において、あまりにWikipediaからの剽窃が多いという批判を受けたことがある。今回の発言は、その剽窃問題と同じ構図のものと言えるだろう。自分自身ではほとんど調べずに、他人から聞いた軽口、あるいは自分で思いついたに過ぎない妄想を口に出してしまう。
これはぼく自身調べたわけではないが、石破氏の自民党総裁就任について批判する高市氏支持者の発言は、百田氏と同じように、ほとんど根拠の乏しい、あるいはまったく根拠のないもののようだ。
そして、たまたま目にした「週刊女性」の記事もひどかった。
9月29日付――「まじでふざけんな」石破茂新総理に怒り狂う人々、前途多難の船出に蘇る“裏切りの歴史”――というタイトルの記事で、その記事の中で「政治ジャーナリスト」の発言とともにこう記されている。
――「石破さんがこれまで総裁になれかった理由のひとつに1993年に非自民の細川護熙政権が誕生し、自民党が野党に転落した時に離党届を出し、新生党から新進党へ参加した“裏切り”の歴史があります。ただ、その後はあっさりと自民党に復党するも、誰にも相手にされない状態が続いていました」 そんな石破氏の存在が注目されたのが、初入閣となった2002年の小泉純一郎政権で務めた防衛大臣だろう。“軍事オタク”的なキャラも話題となったが、ここにも“裏切り”があったと前出の政治ジャーナリストが続ける。 「自民党復党後、石破さんは伊吹文明さんから目をかけられ伊吹派に入るも、初入閣後に『閣僚は派閥に属するべきではない』『派閥は旧態依然』と話し、派閥を離脱。その後も麻生太郎政権で閣僚を務めていながら“麻生おろし”に加担するなど、常に恩義のある人を裏切り続けているのです」 経済界からは“手痛い洗礼”を受けた石破氏は、新たな“裏切り”の歴史を紡がないようにしていただきたいものだ。
この「政治ジャーナリスト」がどういう人間なのか、あるいは本当に実在する人間なのかどうかは不明だが、ここに挙げられている3つの「裏切り」は事実とちがう。
まず最初に、1993年に小沢一郎氏が率いた新生党から新進党に参加したのは、その時日本に必要だった政治改革を第一に考えていたからだ。日本政治に必要な政権交代をもたらすには小選挙区制度導入を中心とした政治改革しかない。小沢氏や石破氏たちが第一に考えていたのは日本の政治の改革であり、古い自民党政治をいかに保守するかということではなかった。
小沢氏が新生党から新進党をつくって日本政治に大きい変革の時代をもたらす前夜にあたる1992年、ぼくは赤坂の議員宿舎に毎晩のように通った。そこに国会議員になって6年目の石破氏がいた。政治改革を目指す小沢氏や石破氏、あるいは他の若い政治家たちがそれぞれに新しい時代を胸に思い描いて準備していたころだ。その中でも石破氏は若手政治家の代表格のような存在であり、実にまじめな性格だったと思う。議員宿舎の他の議員たちはおそらくは飲みに出ていたのだろう、大体不在だったが、石破氏だけはほとんどの夜、ひとり部屋にいた。
たぶん勉強していたのだろう。だが、いつ行っても歓迎してくれた。よく冷蔵庫から缶ビールを出してくれた。ぼくが缶ビールを持って行ったりもした。語り合ったのはもちろん政治改革についてだった。ある夜は、中身は忘れてしまったが、興が乗ってプライベートな話に花が咲いたこともあった。
そのころは知らなかったが、石破氏が赤坂の議員宿舎でコツコツと勉強しているころ、鳥取では、慶應の学生時代に同級生だった妻、佳子さんが選挙区の留守をしっかり守っていた。
石破氏の単身赴任生活の思い出話として佳子さんは「週刊ポスト」にこう語っていた。
「小泉内閣で防衛庁長官になった40代の頃、東京での夫の単身赴任生活が長く、料理を始めたんです。最初に恐る恐る作ったのは目玉焼き2つ。そのうち、『たけのこご飯が食べたい』と電話があったのでレシピを教えたら、『ご飯はどうやって炊くの?』って(笑い)。何とか作ってみたものの、硬くて失敗。そしたらなんと、その日にもう一度作り直したんです」
ぼくがよく赤坂の宿舎に行っていたのは1992年だから、石破氏35歳。まだ全然料理できないころ。缶ビールだけでつまみなんか全然出てこなかったのはこういうわけだった。だが、当時の石破氏が日本の議会制民主主義を第一に考えて勉強を重ね、小沢氏の新党に参加したことはまちがいない。これを「裏切り」と言うなら、幕末から明治維新にかけて土佐藩を脱藩した坂本龍馬をはじめ、維新の志士たちは裏切者集団ということになるだろう。
「週刊女性」が掲げる第二の「裏切り」、自民党に復党してから加入した伊吹派について、防衛大臣になった時点で離脱したことは、「閣僚は派閥に属するべきではない」という理由に基づくものだ。行政官庁のトップに就く議員は政党の派閥に所属すべきではないということは誰にでも納得できる理由で、むしろ常識だろう。
第三の「裏切り」として掲げられた「麻生太郎政権で閣僚を務めていながら“麻生おろし”に加担」というのはどうだろうか。
2008年、麻生太郎内閣で農林水産大臣を務めていたが、そのころ、小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人3氏らが率いる民主党が日の出の勢いで自民党に肉薄し、政権交代目前の情勢だった。それに加えて、常識的な漢字の読み方も知らない麻生氏の「教養の低さ」も広く知れ渡って、自民党はボロ負け必至の情勢だった。その後、実際の総選挙で民主党は地滑り的な大勝をおさめるのだが、この時、石破氏の助言に従って麻生氏が首相の座を退いていたらどうなっていたであろうか。
民主党の勝利もほどほどのものになり、その後民主党政権を追い込むことになる過大な期待というものはなかったかもしれない。いずれにしても、この石破氏の行動は「裏切り」とは呼べない。一自民党、あるいは麻生氏個人を考えるのではなく、日本の政治全体を考えた時に採る行動としてはむしろ時宜を得たものだっただろう。
しかし、この時の石破氏の行動が長らく麻生氏の石破氏に対する怨恨として残った。今回の総裁選でも、麻生氏が自らの派閥や息のかかった議員たちに対して、第1回の投票から「高市に入れろ」と指示を出したのはこの怨恨が基になっている。
高市氏はその対中国敵視政策で極右層の支持を集めているが、仮に首相になれば中国との間でかなり緊張した情勢を迎えることになる。防衛費はGDP比2%どころか3%、4%、5%となっていくだろう。国債金利は急上昇して価格は暴落、日本経済は破綻するしかない。
少し考えればそんな将来図は誰にでも描けるはずなのに、麻生氏は「高市に入れろ」と指示を出した。麻生氏はもともと宏池会から河野洋平グループに移った「軽武装・経済重視」路線の人脈に連なる議員だった。ところが、84歳となり政治人生ほとんど最後の段階で、まさに日本経済を破綻に陥れる高市氏を次期総裁に指名し、派閥議員や息のかかった議員に対して指示を出した。
文字通り「晩節を汚した」としか表現のしようがない。石破氏と異なり、その政治選択、政治行動は自分だけの好悪の情だけに動かされてきたからだ。麻生氏は自民党総裁の石破氏によって副総裁を外され、最高顧問に祭り上げられるようだ。「引退」の日はそう遠くないだろう。